行雲流水のごとき人生でありたい

「行雲流水(こううんりゅうすい)」という禅の言葉がある


空を行く雲や、流れる水のように、物事に執着せず、自然の成り行きに任せて行動することだ


修行僧のことを「雲水」というが、この行雲流水のように一カ所にとどまらず、師をたずね道を求めて各地をめぐることからきている



「無作」とは、自然におもむくままのことであり、作為的な働きのないこと、無為とも言う


大失敗だと悔(く)やんだことが、時間がたってみると、それがあったおかげで成功への道が開けた、などということはよくあることだ


一時(いっとき)の損得や、勝ち負けは、長い目で見ると、たいした違いはない



「露と落ち  露と消えにし  我が身かな  浪速のことは  夢のまた夢」


と、辞世の句を残したのは豊臣秀吉


露のようにこの世に生まれ落ち、そしてはかなく消えてゆく


大阪城で過ごした栄華の日々


なにもかもが、まるで夢の中で夢を見ているように儚いものだった



夢の世を、行雲流水のごとき人生でありたい




*1分で感動から転載