「努力」という幻想

 昔、あるテレビドラマで見た

 お母さんと子供の微笑ましい会話が

 心に残っています。

 

 勉強をしない子供に対して、

 「どうして、もっと勉強しようと努力しないの」

 と聞く母親に、子供が答えます。

 

 

 「うん、だから、努力しようと努力しているんだけれど」

 

 

 おもわず微笑んでしまうこの言葉を聞くとき、

 我々は、「努力」という言葉が、

 極めて精神的な言葉であり、

 自己幻想に陥りやすい言葉であることに気がつきます。

 

 なぜなら、仕事で壁に突き当たっている人に

 「あなたは、努力をしていますか」と聞くならば、

 「ええ、自分なりに、精一杯の努力はしています」と、

 多くの人が答えるからです。

 

 誰でも、精神的には、努力している。

 しかし、具体的には、成果が出ない。

 

 そのことを考えるとき、

 ふと、不思議なことに気がつきます。

 

 

  一流のプロフェッショナルは、

  精神的な「努力」という言葉を

  あまり使わない。

 

 

 そのことに気がつきます。

 

 では、彼らは、どのような言葉を使うのか。

 

 

  具体的な「工夫」

 

 

 それが、プロフェッショナルの世界において、

 「努力」を意味する言葉なのでしょう。

 

 

 田坂広志