生きざまが輝く顔

男性も女性も、その人の長年の生きざまが顔にでる。

 

卑しい言動や、卑怯なことばかりしてきた人は、卑しい顔になる。

 

自分のことより先に、

人の喜びや人の幸せを考えて生きてきた人は、美しい人になる。

 

何の努力も苦労もせず、もって生まれたスタイルや美貌だけをたよりに生きてきた人は、晩年になって深みのないのっぺらぼうの味のない顔になる。

 

 

物心つくその日から何を思い、何を語り、何をしたか、顔というものは、とても不思議なものです。

 

 

顔の造作もよく整い、本人も自分の器量に自信があり、ふだんのお手入れも怠りなくしている。

しかし、少しも美しくなく、むしろ嫌悪感さえ与えるという顔もあります。

 

 

逆に、顔だちはそれほどの美人ではなく、

 

ときには化粧では隠しきれないほどの痣(あざ)があるけれど、

 

何かひかれる美しさを、思わず振り返りたくなるような明るさや、温かさを、たたえた顔があります。

 

 

 

女(おみな)あり

 

二人ゆく

 

若き うるわし

 

老いたるは

 

なほ うるわし

 

 

 

白髪がなくて、美しいというわけではない。

 

シワがなくて、美しいというのでもない。

 

白髪の一本一本に、シワのひと筋ひと筋に、40年50年の歳月を生きてきたその人の生きざまが輝いて、美しいのです。

 

 

 

「40歳になったら自分の顔に責任を持て」といったのは、アメリカ大統領のリンカーン

 

人格は行為の集積であり、

自らの毎日の行為によって彫り上げていくもののような気がします。

 

 

親からいただいた顔や体を素材として、

 

物心つくその日から何を思い、何を語り、何をしたか、

 

言葉には表さない心の深層に秘めたわずかな思いまでも、

 

そして、誰も見ていないところでのささやかな行為までもが、

 

一分のごまかしもない彫刻刀となって、顔や姿を彫り、人格をつくりあげ、

 

衣装や化粧ではごまかしきれない美醜の差となって、顔にあらわれる。

 

 

 

*1分で感動から転載